校長室より

2023年3月の記事一覧

終業式 校長講話

 おはようございます。終業式を迎えました。1年間大変お疲れさまでした。今年度の終わりに際し、皆さんの現在の「立ち位置」について、確認してみたいと思います。

 まずは、授業が「わかる」ということについて、皆さんの現状はいかがでしょうか。

 皆さんは「模試」、模擬試験を受けていると思います。本校の場合例年、1年生は、最初のうちは成績がよい傾向にあります。模試の出題範囲には中学校時代の復習も含まれ、高校受験の勉強をしっかりやっていた生徒が多いことも、理由の一つと思われます。しかし、回数を重ねるごとに、よい成績をとることが難しくなってきます。出題範囲に、高校の授業で学ぶ内容が増えてきます。学んだ内容がどれぐらい定着しているか。模試では、可視化されて自分で把握できます。確認してみることが必要です。

 先日の卒業式では、夏目漱石の「自己本位」という考え方を引き合いに、卒業生に餞のことばを贈りました。「自己本位」とは、自分が主、それ以外は従という考え方です。毎日の授業を振り返ってみると、皆さんから見れば、例えば教えている先生が、授業の内容をよく理解している、あるいは、友だちが理解している、そうしたことは、ここでいう「従」ということになります。大切なことは、その授業の内容を、皆さん自身がどこまでわかっているか、理解しているか、そして、授業で学んだことを定着させているか、ということです。実は、模試の結果は、そのことを皆さんに伝えてくれています。

 授業の内容をしっかり理解していることで、模試の成績も向上します。新たな学年になっても引き続き、毎日の授業を理解することに力を入れて欲しいと思います。

 ところで、20日の月曜日には、卒業生による「受験速報会」が行われました。受験を終えたばかりの先輩のアドバイスは大変貴重なものですが、参加した2年生は、熱心にメモを取ったり、積極的に質問したりしていました。会場を回りながら耳を傾けました。

 大学に合格した卒業生の多くが、しっかりとした考えをもって志望校を選定していました。印象的だったのは、2年生のときにオープンキャンパスで大学を訪れ、この大学で学びたいと強く思うようになり、受験勉強に本気で取り組むスイッチが入ったという話です。自分のオリジナルの理由を持っている生徒は強い。そう感じました。

 また、志望校には合格したものの、本音では、もう少し難易度の高い大学で自分の力を試してみたかった、と話す卒業生もいました。昨年11月の2年生対象の進路講演会の「蕨高生は難関国公立大を目指すべき」との話を思い出しました。志望校を選定する際は、その系統の最難関の大学・学部を選ぶことが大事なのではないかと思います。

 春休みは短いです。部活動などで忙しい方も多いと思います。しかし、現在の立ち位置を確認し、向こう1年間の新たな戦略を立てるのもまさに「今」であると思います。

 もう一つ。受験速報会では「英語で苦労した。3年生になった段階で、英語がある程度仕上がっていると精神的に有利。ほかの科目に多くの時間を割くことができる」という話も聞けました。4月といえばGTECです。しっかり準備して、セファールのB1、B2の取得に向け、頑張っていきましょう。また、令和5年度は、3年間中止を余儀なくされた、オーストラリア2週間の海外派遣事業の募集を再開する予定です。一定の費用は掛かりますが、海外体験の大きなチャンスです。ご家族と相談いただき、積極的にチャレンジしていただきたいと思います。

 4月には、皆さんと同じように「Wの挑戦」ということばに共鳴した新入生が入学してきます。皆さんも上級生として「挑戦する蕨高生」を実践していきましょう。

 以上で校長講話を終わります。新学期もよろしくお願いします。

3月全校集会 壮行会 校長より激励

 ただ今紹介がありましたが、バトン部の皆さんは、今月29日に千葉県の幕張メッセで行われる USA School&College Nationals 2023に出場されるということです。

 まずは、全国大会への出場おめでとうございます。

 バトン部の皆さんは、11月に行われた全日本チアダンス選手権決勝大会、12月に行われた全国高等学校ダンスドリル冬季大会に続き、今シーズン3度目の全国大会出場ということです。

 今回は12月に行われた地区予選にあたる東京大会において、高校編成SONG/POM部門を1位で通過しての全国大会出場とのことです。全国大会でも、日ごろの練習の成果を大いに発揮して、活躍されることを期待しております。応援しています。

 以上で激励を終わります。

海外に行こう(生徒会誌『さわらび』第60号校長のことば)

 目の前に『Sawarabi No.20』と書かれた一冊の白い小冊子がある。1983年3月10日(木)、卒業式の日にいただいた。卒業アルバムとともに保存してあったものだ。

 「生徒会活動の記録」や「クラス紹介」は現在も続いているが、この小冊子には「特別寄稿」として、英語科の教員とオーストラリアに留学した生徒の体験記が掲載されている。在学中にも留学生がいた記憶がある。本校の外国語科の設置は1994年。11年も前から本校は国際理解教育に熱心であったことがうかがえる。

 11月に、3年生の英語の授業を見学する機会を得た。共通テストを念頭に置いた授業であったが、これまで学んだ知識の確認を次々繰り出す教員に対し、多くの生徒が楽しそうに応じていた。まさに、英語の学びを楽しむ雰囲気に満ち溢れていた。こんな授業を受けることができていたら人生変わっていたかも、と思い、3年生を羨ましく思った。

 さて、現在の我らが蕨高校は外国語科を設置しており、普通科の生徒も含め、高いレベルの英語教育を受けることができる。すべての蕨高生は、この高校に在籍しているということに誇りを持ってもらいたい。何はともあれ「英語だけは誰にも負けない」という気概を持つことが重要である。

 コロナ禍もあり、渡航による海外交流事業がなかなかできない中ではあるが、特に卒業する3年生は、海外を目指してほしい。11月9日にフランス語選択者を対象としたハイチ大使館員による授業があったが、何人かの生徒は英語で質疑応答をしており、頼もしいと感じた。様々な国から人が集まるからこそ、英語が武器となり、コミュニケーションを取ることができる。蕨高校で英語を頑張った3年生は、自信を持って次のステップに進んで欲しい。これからの時代は、学部であれ院であれ、海外留学のチャンスが必ずある。お金をためて海外旅行でももちろんいい。社会に出る前に、海外での体験をより多く持つことを強くお薦めする。

 11月11日の日経新聞によると、2021年の米国の平均賃金は7万5000ドル。日本人の平均年間給与は約3万ドルということで、日本の賃金は米国の半分以下ということである。同じ仕事をしても、米国では日本の倍以上の給与を得ることになる。これからの大学生は、就職活動においてもグローバル企業を念頭に置くべきであり、その際、武器になるのは海外経験の有無である。蕨高卒業生の可能性は無限大。皆さんの将来に大いに期待している。

 在校生は、4月にGTECがある。CEFR(セファール)でB1を取れば英検2級相当、B2なら英検準1級相当である。日ごろの英語への取組の成果を確認するチャンスである。今からしっかり準備して臨んでもらいたい。

第64回卒業証書授与式 式辞

 今年もまた早蕨の芽吹きが春の到来を告げ、すべて生命あるものが生き生きと躍動を始めるこの佳き日に、保護者の皆様のご臨席のもと、埼玉県立蕨高等学校第64回卒業証書授与式を挙行できますことに、改めてお礼と感謝を申し上げたいと存じます。

 卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。皆さんはこの大切な高校3年間、コロナ禍の中で本当につらく、困難な日々が続いたことと思います。しかしながら、様々な困難を乗り越えて、今日という晴れの日を迎えることができました。この特別な経験は、将来必ず役に立つことと思います。そして、この困難なときを同じ場所で、同じ高校で過ごした仲間たちとの絆は、特別な絆なのではないかと思います。皆さんにとって必ずや大切な財産になると思います。

 さて、本日、蕨高校から船出をしていく皆さんに、餞のことばを贈りたいと思います。それは、「自分で考えて行動する」姿勢を持ち続けて欲しいということです。

 さわらび会館前の「考える人」の彫刻は、皆さんもご存じだと思います。平成元年度卒業の31期生による卒業記念品とのことです。私は本校の24期生ですが、昨年4月の着任以来、本校があまりにも素晴らしい学校になっていたことに大変驚きました。勉強にも部活動にも学校行事にも全力で取り組む生徒のスタイルは、今目の前にいる皆さんが最上級生として築いてくれたものだということには、すぐに合点がいきました。これを仮に「不易と流行」の「流行」と捉えたとき、それでは「不易」は何なのか。24期の私たちのころから脈々と受け継がれているものが何か残っているのではないか。そう考えました。

 実は本校は、同窓会活動が大変盛んです。50歳を迎える卒業生を「ホームカミングデー」として学校に招いています。この2年間はコロナ禍を受け、中止を余儀なくされてきましたが、昨年ようやく29期、30期、31期と実施することができました。24期生の私は、昭和62年に教育実習生として2週間、蕨高校にお世話になりましたが、昨年本校を訪れた卒業生は、このときの3年生、2年生、1年生でした。31期生からは、「考える人」の由来も聞くことができました。目まぐるしく揺れ動く世の中で、じっくり腰を据えて考える時間を持って欲しい。そんな願いを込めて建てた記念碑であるとのことでした。

 つながった。そう思いました。

 蕨高校は以前から、じっくり考えること、考えて行動することを大切にしてきました。だからこそ、卒業生の皆さんの人生という長い旅路の安全を祈願するお守りとして、本校の伝統も踏まえ、「自分で考えて行動する」姿勢を持ち続けて欲しいということばを贈りたいと思います。

 このことに関連したエピソードを一つお話しします。

 皆さんは小説『こころ』を書いた「夏目漱石」をご存じのことと思います。漱石はもともと英文学の学者でしたが、大学を卒業して英語の教員として松山や熊本で教鞭をとり、政府の命により官費でイギリスに留学し、英文学の研究を行います。漱石によると、当時、英文学の研究と言えば、他人が読んだ批評を鵜呑みにして有り難がる風潮が横行していたということです。漱石はそうした風潮に馴染めず、留学先のロンドンでも苦悩は続き、神経衰弱を患いながら格闘しました。

 その中で、英文学というものを「ものにする」ためには、自分が作品を読み、自分が感じたことを論ずる以外道はないと悟るに至ります。ここで漱石が得たのが「自己本位」ということばです。「自己本位」とは、自分が主で、それ以外は従であるということです。漱石は、この四文字を握ってから、大変強くなったと言っています。

 実は私は大学で国文学を専攻しましたが、卒業論文を執筆するにあたり、蕨高校の3年生のときに現代文の授業で学んだ、大江健三郎のエッセイにヒントを得ました。タイトルは「〝記憶してください。私はこんな風にして生きて来たのです″」といいます。『こころ』の「先生」が、遺書の中で主人公の「私」に語りかけることばです。このエッセイの中に「明治の精神」ということばが出てきます。「先生」が「殉死をするならば、明治の精神に殉死するつもりだ」というくだりに出てくるものです。「明治の精神」とは何か。また、それなら「昭和の精神」と呼ぶべきものはあるのか。こんな点に疑問を抱き、深掘りして卒業論文を書きました。この過程で出会ったのが漱石の「自己本位」です。社会人としてスタートした後も、この考え方をとても大切にしてきました。

 言うまでもなく、人生は山あり谷ありです。私が高校を卒業してからの40年間を振り返っても、バブル崩壊、阪神淡路大震災、アメリカ同時多発テロ事件、リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍、そしてウクライナ侵攻と、まったく想像すらできなかったことばかり起きました。そして、世界はつながっています。経済的な状況も含め、個人の生活にも大きな影響が及んできます。

 人生は、決断の連続です。そのときそのとき、最善と考える決断を、自らが行わなくてはなりません。さらにこれからの皆さんは、パートナーができ、子どもを持つなど、守るべき大切なものが増えてきます。自分が何かに了解を出す場面では、最低限、自分が理解している、自分がわかっているということが重要です。自分がわからないものにはOKを出さない。まさに「自己本位」です。そして、自分の決断には責任を持つ。後悔をしないためには、結果が悪いときこそ「自分の責任」と思えることがとても重要です。

 人生百年時代。生涯学び続ける姿勢が求められています。とはいえ、社会に出ると猛烈に忙しくなるのもまた事実です。これから皆さんが大学で学ぶ時間は貴重なチャンスです。将来、「自分で考えて行動する」ために、しっかりと学び、自らの教養の引き出しをどんどん増やしていただきたいと思います。応援しています。

 ここで、保護者の皆様に申し上げたいと存じます。これまで蕨高校の教育にご理解とご協力を賜りありがとうございました。お子様がこのように立派に成長され、新しい人生に旅立つ逞しい姿に、心から祝福を申し上げます。卒業は、本人の努力の結果であることは言うまでもないことですが、それを支えたご家族の皆様の力強い励ましがあったおかげだと思います。このことに対し、心から祝意と敬意を表したいと存じます。

 結びに、本日ご臨席を賜りました皆様に重ねてお礼申し上げますとともに、64期卒業生350名の前途洋々たる人生を心から祈念し、式辞といたします。

 令和5年3月15日

埼玉県立蕨高等学校長 山本 康義 

初一念を貫き通す覚悟を(『蕨高新聞』第161号 巻頭言)

 目の前にあるのは昭和58年3月10日(木)発行の『蕨高新聞』第81号。卒業時にもらい、そのまま卒業アルバムに挟んでおいたものだ。茶色に変色しているが、記事は読むことができる。表題は当時の校長のことばである。私を含め、まだまだ多かった進学準備の卒業生に対する温かい励ましの気持ちのこもった一節である。

 改めて64期生の皆さん、卒業おめでとう。表題の「初一念」とは、最初に思い立った一念のこと。私は当時の校長にこのことばをいただいて卒業したが、40年を振り返ってもまったく色褪せない輝きを持っている。よって64期生の皆さんに、敢えて餞としてこのことばを贈りたい。

 私事で恐縮であるが、11月に大学のサークルのOB会に出席した。久しぶりに再会した先輩から「高校の校長か。お前そう言えばずっと『教育』やってるな」と声をかけられた。このサークルは弁論を扱うサークルで、私は1年次からサークル内の「教育問題研究会」に所属していた。先輩はそのことを覚えていた。確かに私は大学を卒業してそのまま教壇に立ったので、一貫して「教育」に携わっていることになるが、そのきっかけは現在本校で「講義室」と呼ばれているB棟1階の旧「2年7組」にあった。ここで多くの仲間や恩師の先生方と教育について熱く語り合ったことが原点となり、現在に至っている。

 64期生の皆さんは、自らの将来を真剣に考え、選んだ進路先に進むことと思う。是非とも「初一念」を貫き通し、グローバルな舞台で活躍していただくことを願っている。

図書館へ行こう(図書館報『若い樹』校長のことば)

 図書館には特別な思い入れがある。

 大きな赤い鳥居の脇に白い建物の市立図書館があった。大学受験の勉強をするため、この図書館の閲覧席に足繁く通った。当時は朝、図書館の外に並んでいると順番に数字が書かれてあるカードが配られ、開館時間前に任意の数字が発表されて、その数字から順に入館が許された。早く並んで若い番号をもらってもいいことはなく、いわゆる抽選だった。

 浪人中は都内の予備校に通った。予備校が終わると都立図書館に行った。勉強に飽きると様々な書籍に手を伸ばした。何しろ図書館である。本は無数にある。自分の学生時代はいわゆる「角川ブーム」のころで、横溝正史の『犬神家の一族』や森村誠一の『人間の証明』、高木彬光の『白昼の死角』など、小説と映画がコラボする「メディアミックス」が巷を席巻していた。その影響もあって、映画化やドラマ化された作品は手に取りやすかった。松本清張などの社会派推理小説、清水一行などの経済小説もよく読んだ。大河ドラマでは「徳川家康」をやっていたので、山岡荘八の原作全26巻を浪人中に読破した。合格した学部の入試の日本史で織豊政権が取り上げられ、スムーズに解答できたのはラッキーだった。

 大学の学科は国語国文学科。どう考えても本がなければつとまらない学科であったが、何しろお金がなかった。この大学の入学式の総長のことばは今でも覚えていて、「この大学には教授や図書館の文献など、皆さんの研究に必要となるすべてが揃っているが、皆さんが自ら手を伸ばさない限り、何も得ることはできない」という趣旨であった。お金がなかったので、4年間専門書は買うまいと心に決めて臨んだが、この大学の図書館は総長の言うとおり、自分程度の学生の卒業論文にはおつりがくるくらい、ありとあらゆる文献を備えていた。先行文献にあたるため『國文學』などの雑誌に掲載されている論文も読んだが、バックナンバーまでほぼ完備されていた。そのおかげで本当に専門書を買わないで卒論を書き、大学を卒業した。このように図書館の恩恵を十二分に受けていたため、将来は図書館のそばに住みたいとさえ考えていた。

 さて、本冊子は図書委員会発行の図書館報『若い樹』である。

 私は本校の卒業生であるが、大学は自転車通学、就職してからは自動車通勤が多かったため、ひょっとすると蕨高校に通っていた3年間が人生で最も本を読んでいた時期かもしれない。京浜東北線の乗車時間は片道15分。高校3年間、欠かさず読書をしていた記憶がある。

 最近の高校生は本を読まないと言われて久しいが、いまや電車やバスに乗っても、本を読んでいる人よりスマートフォンを見ている人のほうが圧倒的に多い。かくいう自分も、新聞は購読をやめて電子版に切り替えたし、欲しい本があるとECサイトやフリマアプリのお世話になることが多くなっている。以前は本を探して書店をはしごすることも多かったが、そうした機会はめっきり減ってしまった。

 しかし、である。

 この原稿を書くために、夏季休業中の本校の図書館を訪れた。図書館は開館しており、図書・視聴覚部の先生方のお話を聞くことができた。

 図書館に入ってすぐのところに新着本のコーナーがある。とても魅力的でキラキラと輝いて見えた。当然のことであるが、世の中では毎日のように新刊本が発行されている。本校の図書館のスペースには限りがあるため、すべての本を購入することはできない。新着本のコーナーに並んでいるこの本たちは、あまたある新刊本の中から本校の生徒のために選ばれた「選抜選手」なのである。新着本のコーナーがキラキラ輝いて見えたのは、窓から差し込む残暑厳しき初秋の日差しがまぶしかっただけではない。これらの新着本を手にするであろう蕨高生のことを真剣に考えている先生方や図書委員会の生徒たちがいて、これらの本を選んだ思いが伝わってきたからではないかと感じた。

 本とは出会いである。新聞や雑誌の書評や動画による要約、有名人のインタビューなどで紹介されているものなど、メディアを通して読みたいと思い、入手することが多い。いまさら「オンラインより対面」などと二元論を振りかざす気は毛頭ないが、図書館はやはり「リアル」である。本に何げなく手を伸ばし、そのまま没入して、借りて持って帰って読破する。そんな出会いがあるのは図書館である。

 変化の激しい現代だからこそ、蕨高生にはこんな本を手に取ってもらいたい。図書館にはすでに多くの生徒が訪れていると聞くが、このような思いのこもったラインナップで皆さんをお迎えする本校の図書館を、もっともっと訪れてもらいたいと思う。