第64回卒業証書授与式 式辞
今年もまた早蕨の芽吹きが春の到来を告げ、すべて生命あるものが生き生きと躍動を始めるこの佳き日に、保護者の皆様のご臨席のもと、埼玉県立蕨高等学校第64回卒業証書授与式を挙行できますことに、改めてお礼と感謝を申し上げたいと存じます。
卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。皆さんはこの大切な高校3年間、コロナ禍の中で本当につらく、困難な日々が続いたことと思います。しかしながら、様々な困難を乗り越えて、今日という晴れの日を迎えることができました。この特別な経験は、将来必ず役に立つことと思います。そして、この困難なときを同じ場所で、同じ高校で過ごした仲間たちとの絆は、特別な絆なのではないかと思います。皆さんにとって必ずや大切な財産になると思います。
さて、本日、蕨高校から船出をしていく皆さんに、餞のことばを贈りたいと思います。それは、「自分で考えて行動する」姿勢を持ち続けて欲しいということです。
さわらび会館前の「考える人」の彫刻は、皆さんもご存じだと思います。平成元年度卒業の31期生による卒業記念品とのことです。私は本校の24期生ですが、昨年4月の着任以来、本校があまりにも素晴らしい学校になっていたことに大変驚きました。勉強にも部活動にも学校行事にも全力で取り組む生徒のスタイルは、今目の前にいる皆さんが最上級生として築いてくれたものだということには、すぐに合点がいきました。これを仮に「不易と流行」の「流行」と捉えたとき、それでは「不易」は何なのか。24期の私たちのころから脈々と受け継がれているものが何か残っているのではないか。そう考えました。
実は本校は、同窓会活動が大変盛んです。50歳を迎える卒業生を「ホームカミングデー」として学校に招いています。この2年間はコロナ禍を受け、中止を余儀なくされてきましたが、昨年ようやく29期、30期、31期と実施することができました。24期生の私は、昭和62年に教育実習生として2週間、蕨高校にお世話になりましたが、昨年本校を訪れた卒業生は、このときの3年生、2年生、1年生でした。31期生からは、「考える人」の由来も聞くことができました。目まぐるしく揺れ動く世の中で、じっくり腰を据えて考える時間を持って欲しい。そんな願いを込めて建てた記念碑であるとのことでした。
つながった。そう思いました。
蕨高校は以前から、じっくり考えること、考えて行動することを大切にしてきました。だからこそ、卒業生の皆さんの人生という長い旅路の安全を祈願するお守りとして、本校の伝統も踏まえ、「自分で考えて行動する」姿勢を持ち続けて欲しいということばを贈りたいと思います。
このことに関連したエピソードを一つお話しします。
皆さんは小説『こころ』を書いた「夏目漱石」をご存じのことと思います。漱石はもともと英文学の学者でしたが、大学を卒業して英語の教員として松山や熊本で教鞭をとり、政府の命により官費でイギリスに留学し、英文学の研究を行います。漱石によると、当時、英文学の研究と言えば、他人が読んだ批評を鵜呑みにして有り難がる風潮が横行していたということです。漱石はそうした風潮に馴染めず、留学先のロンドンでも苦悩は続き、神経衰弱を患いながら格闘しました。
その中で、英文学というものを「ものにする」ためには、自分が作品を読み、自分が感じたことを論ずる以外道はないと悟るに至ります。ここで漱石が得たのが「自己本位」ということばです。「自己本位」とは、自分が主で、それ以外は従であるということです。漱石は、この四文字を握ってから、大変強くなったと言っています。
実は私は大学で国文学を専攻しましたが、卒業論文を執筆するにあたり、蕨高校の3年生のときに現代文の授業で学んだ、大江健三郎のエッセイにヒントを得ました。タイトルは「〝記憶してください。私はこんな風にして生きて来たのです″」といいます。『こころ』の「先生」が、遺書の中で主人公の「私」に語りかけることばです。このエッセイの中に「明治の精神」ということばが出てきます。「先生」が「殉死をするならば、明治の精神に殉死するつもりだ」というくだりに出てくるものです。「明治の精神」とは何か。また、それなら「昭和の精神」と呼ぶべきものはあるのか。こんな点に疑問を抱き、深掘りして卒業論文を書きました。この過程で出会ったのが漱石の「自己本位」です。社会人としてスタートした後も、この考え方をとても大切にしてきました。
言うまでもなく、人生は山あり谷ありです。私が高校を卒業してからの40年間を振り返っても、バブル崩壊、阪神淡路大震災、アメリカ同時多発テロ事件、リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍、そしてウクライナ侵攻と、まったく想像すらできなかったことばかり起きました。そして、世界はつながっています。経済的な状況も含め、個人の生活にも大きな影響が及んできます。
人生は、決断の連続です。そのときそのとき、最善と考える決断を、自らが行わなくてはなりません。さらにこれからの皆さんは、パートナーができ、子どもを持つなど、守るべき大切なものが増えてきます。自分が何かに了解を出す場面では、最低限、自分が理解している、自分がわかっているということが重要です。自分がわからないものにはOKを出さない。まさに「自己本位」です。そして、自分の決断には責任を持つ。後悔をしないためには、結果が悪いときこそ「自分の責任」と思えることがとても重要です。
人生百年時代。生涯学び続ける姿勢が求められています。とはいえ、社会に出ると猛烈に忙しくなるのもまた事実です。これから皆さんが大学で学ぶ時間は貴重なチャンスです。将来、「自分で考えて行動する」ために、しっかりと学び、自らの教養の引き出しをどんどん増やしていただきたいと思います。応援しています。
ここで、保護者の皆様に申し上げたいと存じます。これまで蕨高校の教育にご理解とご協力を賜りありがとうございました。お子様がこのように立派に成長され、新しい人生に旅立つ逞しい姿に、心から祝福を申し上げます。卒業は、本人の努力の結果であることは言うまでもないことですが、それを支えたご家族の皆様の力強い励ましがあったおかげだと思います。このことに対し、心から祝意と敬意を表したいと存じます。
結びに、本日ご臨席を賜りました皆様に重ねてお礼申し上げますとともに、64期卒業生350名の前途洋々たる人生を心から祈念し、式辞といたします。
令和5年3月15日
埼玉県立蕨高等学校長 山本 康義