校長室より

校長室より

終業式 校長講話

 皆さんこんにちは。令和5年度の終業式を迎えました。

 1年生は、蕨高生としての最初の1年間、2年生は、蕨高校の中核を担う2年生としての1年間、それぞれどうだったでしょうか。明日から春休みを迎えますので、令和6年度という新しい1年間に向け、新たな計画を立てて臨んでいただきたいと思います。

 さて、19日の火曜日には、先日卒業したばかりの65期生による「受験速報会」が行われました。1年後、今度は話し手として登壇している自分をイメージしながら先輩の話を聞いた2年生も多かったのではないかと思います。

 併願校の考え方について話を聞く場面がありました。難関国立大学に合格したある先輩は「共通テストから二次試験までは意外と時間がない。第一志望の二次試験に全力で取り組むためには、私立の併願校は負担の少ない大学を厳選した」と話していました。また、別の難関大学に合格した先輩は「一つの学部で幅広いテーマを扱う大学では、入学してから自分の専攻を決めるところも多い。一つの学部・学科に絞って併願校を決め、全滅するリスクを避けるため、自分はあえて様々な学部・学科を併願した」と話していました。どの先輩も、自分の考えをしっかり持って受験に臨んでいるということが伝わってきました。

 2年生の皆さんは、すでに志望校を決め、いよいよ本格的に勉強に臨んでいくと思います。蕨高セミナーの講師として来校した先輩は、浪人が決まったとき「これから思いっきり勉強できる」とうれしくなったと話していました。私もとても共感できました。勉強することは、本来、とても楽しいことです。皆さんに浪人を勧める話ではもちろんありませんが、充実した楽しい1年にしていただきたいと思います。

 ここで、蕨高校の先輩として、自らの体験を踏まえ、アドバイスを一つ伝えます。それは「チャレンジ校を設定しよう」ということです。

 皆さんは志望校をどのように決めているでしょうか。蕨高校は県南部にあり東京にも近いので、自宅から通学可能な関東近県の国公立大学や、都内にある私立大学などが候補になっている方も多いのではないかと思います。仮に学びたい学部・学科がある場合、皆さんはその学部・学科の最難関の大学を、志望校に挙げているでしょうか。

 私の場合は難関大学の法学部を第一志望に掲げましたが、相当の心理的な抵抗がありました。3年の夏休みに、大宮にあった予備校の夏期講習を受講しましたが、蕨高生がいっぱいいたので、浪人のときは、遠くの高田馬場にある予備校に通うことにしました。

 蕨高生である自分が、難関大学を志望していいのか。当時の私はそんな気持ちを持っていました。多くの皆さんには当てはまらない話だと思いますが、無意識に、遠慮している人はいないでしょうか。自分で自分の力の天井にふたをする必要はありません。

 関東近県の国公立大学を第一志望と考えているのであれば、チャレンジ校として、旧帝国大学などの難関大学を目標とすることを考えてみてください。また、首都圏の私大を第一志望と考えているのであれば、所謂「早慶上理」を目標としてみてください。このことにより、本来の第一志望校の合格率を高めることができると言われています。

 受験速報会の先輩からは、「自分は上位の大学を目指した。就職を考えている企業があり、内定者も多かったから」という話も聞けました。目標と設定する大学により、1年間の学びの質も変わってきます。令和6年度。納得のいく目標を設定して学ぶ楽しい1年にしていきましょう。以上で校長講話を終わります。

後期球技大会 開会式 校長あいさつ

 おはようございます。校長の山本です。

 昨日の卒業式では、準備から片付けに至るまで、ご協力ありがとうございました。

 また、生徒会本部の野島会長には在校生を代表して「送辞」をお願いしましたが、式が終わった後、来賓の方から「送辞の内容が素晴らしかった」とお褒めのことばをいただきました。

 皆さんのご協力をいただいて、よい卒業式を挙行することができたのではないかと思います。

 さて、この球技大会は、3年生が卒業して最初の生徒会行事になります。全体を通して、生徒が主体の運営となります。

 達成すべきミッションは、皆さんそれぞれが、自らの満足度を高めることです。

 生徒会行事ですから、いわゆるオーディエンス、見物するだけの人は一人もいません。皆さん一人一人が主役です。安全には十分配慮しながら、皆さんが定めたルールをしっかり守って、最高に楽しい球技大会にしていただきたいと思います。

 以上で開会式の校長あいさつを終わります。頑張ってください。

議論しよう(生徒会誌『さわらび』第61号校長のことば)

 「校長先生、ちょっといいですか。」

 1年生が校長室に入ってきた。「蕨高校は、なぜ校舎の3階に渡り廊下がないのですか。」

 何でも、探究学習の課題だと言う。ふだん生活しているB棟の3階からA棟の3階に移動する際、2階に降りて進路指導室前を通ってまた3階に上がるのが不便なので思い付いたとのことである。

 自分が感じた何気ない疑問をそのままにしないで調べ、掘り下げていくのは探究学習の原点である。疑問に感じたことを尋ねてくれたことに感謝し、昼休みの短い時間であったが、お互いの意見を交換し、議論した。面接練習以外で生徒が直接校長室に来ることは滅多にないので楽しかった。

 以前校長講話で、難関大学を目指す理由について「自分の力を試したかった」と考える生徒が増えているという話をした。卒業生との懇談会で話してくれた大学生の場合は数学だったが、自分の場合はどうだったかと思い出してみた。代々続いている生徒会誌『さわらび』にちなみ、自分が在学していたころの蕨高校のエピソードを紹介する。

 高校2年次、3年次の担任は国語科の教員で、「議論しよう」が口癖だった。彼が「議論しよう」を連呼した背景には、利害の衝突があった場合、いわゆる「力」ではなく、話し合いで解決することが大切だということを、私たち生徒に根付かせたいとの思いがあったのではないかと推察する。

 2年生のあるとき、授業に関連して、教科担当と生徒との間でちょっとしたトラブルが発生した。担任に相談すると「議論しよう」。放課後に話し合いの場がもたれた。一方的で感情的な生徒のわがままと受け取られないよう、みんなで相談して、生徒の意見を伝えたことを覚えている。

 浪人後、入学する学部をこれまで志望してきた法学部から教育学部に変える際は大いに悩んだが、この2年生のときの「議論」の体験が充実していて楽しかったことを思い出し、弁論を扱うサークルに入ってさらに自分の「議論する力」を試すこととして、自分を自分で納得させた。結果として、いわゆる「部活動」で大学を決めた。

 ところで、今年度の1年生対象の社会人講演会では、講師の本校32期の高山範理氏から、英国留学中、自分の意見を表明しないのは、相手を尊重しないのと同じだということを学んだというエピソードが語られた。自分の意見を言う、相手の意見を聞く、それぞれの利益を主張する議論を経て最適解を導く。こうした姿勢は、今後ますますグローバル化する社会の中で、一層求められて来ることと思う。特に卒業し、それぞれの進路先で活躍する65期生には、これからもこの「議論する力」を磨いてほしい。

 11月には新しく野島生徒会本部も発足した。「議論」することは、少なくとも卒業生である私の中では、蕨高校の伝統である。

 蕨高校生よ、大いに議論しようではないか。

第65回卒業証書授与式 式辞

 暖かな風とともに、花の心地よい香りが本格的な春の訪れを感じさせる今日の佳き日に、令和5年度 第65回蕨高等学校卒業証書授与式を挙行しましたところ、学校評議員 早稲田大学教授 三村 隆男様、PTA会長 目黒 正伸様、後援会会長 前田 智子様、同窓会会長 晝間 日出夫様をはじめ、多数の御来賓並びに保護者の皆様の御出席をいただき、かくも盛大に開催できますことに、改めてお礼と感謝を申し上げたいと存じます。

 65期の卒業生の皆さん、御卒業おめでとうございます。皆さんが本校に入学されたのは令和3年4月。コロナ禍による影響が続く中、本校の伝統行事である臨海学校も、前年に引き続き中止となりました。悔しい思いをした皆さんも多かったのではないかと思います。

 私が本校に着任した令和4年度、皆さんは学校の中核である2年生でした。3年生が次々と部活動を引退し、受験勉強に本格的に取り組んでいく中、本校を力強く前に進めていただいたのは65期生の皆さんでした。まだ数々の制約が残る中、蕨高祭を成功させ、沖縄への修学旅行も実施していただきました。コロナ禍で数々の制約を余儀なくされてきた本校を、ひとつずつ丁寧に、日常の活動へと回復させていった、その先頭には、いつも65期の皆さんがいました。

 最も印象に残っているのは、令和5年1月早朝の教室の様子です。私は日課として朝、校内を歩いています。A棟の3年生が朝早くから登校し、教室で自習している様子を眺めていましたが、その1月の中旬、共通テストの直後から、急にB棟の2階を中心に、早朝から自習している生徒が増えていることに気が付きました。65期の皆さんでした。まだ部活動を続けている人も多かったと思いますが、その目的意識の高さに驚きました。誰に言われたわけでもないのだと思います。自ら考えて行動できるという65期の皆さんの蕨高生としての在り方は、後輩への模範として語り継いでいきたいと思います。

 さて、本日、この蕨高校を旅立っていく皆さんに、校長として、最後のお話をしたいと思います。それは、皆さんの学年目標「人のため」に関わることです。

 この学年目標の趣旨について、学年主任の波多先生に改めて教えていただきました。

 蕨高校は進学校であり、学業の優先は当然であるが、その前に学校は人間育成の場である。登校時間、清掃の時間をはじめ、すべての時間が人間育成のための時間であり、きちんと学校で学ばなければならない。この点を踏まえて設定した、とのことでした。

 私は24期の卒業生ですが、「人間育成」と聞いて、思いあたる点がありました。蕨高校は文武両道、3年間部活動に打ち込み、臨海学校や強歩大会など、学校行事もハードなものばかり。これらの点は伝統なのでしょう。本校は今年で68年目を迎えますが、こうした学校の在り方は、歴代の校長をはじめとする教職員が、その時々において検討を重ね、その結果、現在まで続いているものだと思います。蕨高校の「人間育成」、人間の土台をつくる力には確かなものがあります。

 この学年目標「人のため」ですが、皆さんのこれからの人生において、例えば、就職をはじめ、様々な人生の選択を迫られる場合にも、大切にしていただきたいことばであると思います。

 ところで、皆さんはアップルの共同創業者の一人であった故スティーブ・ジョブズ氏を知っていると思います。彼がつくったスマートフォンである「アイフォン」を持っている人も多いのではないかと思います。彼は多くの名言を残していることでも有名ですが、こんなことばも残しています。

 「顧客はより幸せでよりよい人生を夢見ている。製品を売ろうとするのではなく、彼らの人生を豊かにするのだ」

 これは、皆さんの学年目標「人のため」につながることばではないかと思います。

 皆さんの多くはこれから、大学や大学院などを経て、いずれは仕事に就くことになると思います。「働く」という漢字は「人」が「動く」と書きますが、「働く」とは、誰かの役に立つことです。

 そして、皆さんは「働く」ことで報酬を得て、自らの生計を立てていくことになります。いささか楽観的かもしれませんが、世の中がよくできているなと思うのは、この「人のため」に「働く」という点を突き詰めていくと、より多くの「人のため」になる仕事をした人のところに、より多くの報酬が流れているという事実に突き当たります。

 世界で最も時価総額の高い企業はアップルですが、皆さんの手元にもある「アイフォン」をはじめ、世界中の多くの人々に豊かな生活を提供し、多くの「人のため」になる仕事をしているからこそ、多くのお金が集まっているとも考えることができます。グーグルやアマゾンなどの「ガーファ」と呼ばれるプラットフォーマーについても同じことが言えると思います。それぞれの企業の時価総額が高いところや、お金が集まっているところに目が向きがちですが、様々なイノベーションによって、世界中の多くの人々に豊かな生活を届けていることも事実なのではないかと思います。

 65期の皆さんの未来はまさに無限大ですが、今後の様々な局面で選択に迷った場合は、どちらがより「人のため」になっているかという点にも留意していただきたいと思います。皆さんの中には将来、故スティーブ・ジョブズ氏のように起業する人も出てくるのではないかと思いますが、研究や仕事を進めていく中で、より多くの「人のため」になる成果を上げることで、皆さんの生活も豊かなものになっていくのだと思います。

 蕨高校で改めて出会った「人のため」ということばを忘れずに、今後の皆さんの生活を豊かにしていっていただきたいと思います。

 ここで、保護者の皆様に申し上げたいと存じます。これまで本校の教育に御理解と御協力を賜りありがとうございました。お子様がこのように立派に成長され、新しい人生に旅立つ逞しい姿に、心から祝福を申し上げます。卒業は、本人の努力の結果であることは言うまでもないことですが、それを支えた御家族の皆様の力強い励ましがあったおかげだと思います。このことに対し、心から祝意と敬意を表したいと存じます。

 結びに、本日御臨席を賜りました皆様に重ねてお礼申し上げますとともに、65期卒業生346名の前途洋々たる人生を心から祈念し、式辞といたします。

 

 令和6年3月14日

 埼玉県立蕨高等学校長 山本 康義

「幸せのレール」は隣にある(『蕨高新聞』第163号 巻頭言)

 65期の皆さん、ご卒業おめでとうございます。皆さんの前途洋々たる未来を祝します。皆さんが様々な分野で活躍し、成功を収めることを願っています。

 と、ここまで書いて、皆さんに餞のことばを贈りたいと考えました。せっかくなら、一生のお守りになるようなものがいいと考えて、思い出したのが、ロックミュージシャンである矢沢永吉さんの「サクセスとハッピー」のエピソードです。

 矢沢永吉さんは1949年生まれの74歳。現役のアーティストです。1977年に日本のロック・ソロアーティストとして初の日本武道館単独公演を敢行し、翌78年には「時間よとまれ」が大ヒットするなど、スーパースターとして頂点を極めます。しかし、2001年出版の自伝『アー・ユー・ハッピー?』の中で、次のように述べています。

 「オレは、サクセスしたら、すべてが手に入ると思っていた。そしてオレはサクセスした。金も入った。名誉も手にした。だけど、さみしさは残った。おかしいじゃないか。(中略)ハッピーじゃないなんて。」そして、こう続けています。「そう思ってふと見ると、幸せってレールは隣にあった。オレはそのレールに乗っていなかった。」

 それでも、矢沢さんはこう述べています。「オレは絶対幸せになる。『幸せのレールは隣にある』と『気づく人』だったから。」

 「いい大学」の次は「いい仕事」。出世もしたいし、お金だって稼ぎたい。誰もがそう願っています。でも、矢沢さんは断言しています。サクセスのレールの先にハッピーはない。ハッピーは隣のレールを走っている。

 皆さんには、ぜひ、この隣を走っている「幸せのレール」に「気づく人」になってもらいたいと思います。