校長室より

校長室より

令和4年度 前期始業式 校長講話

 改めまして、おはようございます。校長の山本です。始業式にあたり、2年生、3年生の皆さんにエールを送りたいと思います。私は本校の卒業生です。3年生の皆さんとは、ちょうど40年離れていることになります。久しぶりに訪れた母校は、以前とは比較にならないほど素晴らしい学校になっていました。学校を預かる校長としては、身が引き締まる思いです。2年生、3年生の皆さんも充実した高校生活を送っていることと思いますが、最初の校長講話として、少しだけ昔話をしてみたいと思います。

 私は今から42年前の4月に入学し、バスケットボール部に入部しました。当時の男バスは、3年生がインターハイに出場する強豪チームでした。練習はきつく、疲労から勉強も手につかず、成績はクラスの最下位付近まで低迷していました。

 2年生になりました。B校舎1階の東端、現在の講義室にホームルームがありました。このときは学校の授業の在り方などについて、当時の先生方と生徒とで、遅くまで熱く議論しました。議論に付き合っていただいた当時の先生方には感謝しかありません。

 3年生は所謂「私大文系クラス」でした。このときの政治・経済の授業が転機となりました。裁判の判例を扱う授業を通じて法律に興味を持ち、将来は弁護士になりたいと考えました。早速、司法試験の合格者の出身大学を調べました。私立大学で合格者を多く輩出しているのは、早稲田大学や中央大学など、難関大学に限られるということを知りました。気づいたのは高3の2学期。浪人して挑戦する覚悟を決めました。バスケットボール部は、公式戦出場こそありませんでしたが、引退するまで続けました。

 1年間の浪人後、第一志望の法学部への合格はなりませんでしたが、同じ大学の教育学部に合格し、現在の職を得ることができました。

 社会人として、県立高校の教壇に立ちました。辛いことや、逃げ出したくなることもたくさんありましたが、その都度、辛かった部活動を最後までやり遂げたということを思い出して自分を励まし、乗り切ってきました。

 今、振り返っても、つくづく、自分の人生の原点は、この蕨高校にあったと思います。

 どこか合格できる大学に行ければよいという甘い考えから、難関大学に合格しなければ将来は開けないという「気付き」を与えてくれたのは、蕨高校の授業でした。実は、法学部を目指しながら、こっそり教育学部を併願していたのは、少なからず、お世話になった2年時、3年時の担任の先生の出身学部・学科であったということが影響しています。社会人になって頑張る・継続するエネルギーとなったのは、部活動をやめなかったという一点でした。

 さて、皆さんです。私が気付いて本気になったのは3年生の2学期。遅すぎました。しかし、浪人して合格できるということは、そもそもちゃんとやっていれば、現役でも合格できるということです。恐らく皆さんにも、本気になるきっかけが訪れるときが来ると思います。これは残念ながら人それぞれです。そのときに備え、例えば英語検定で2級や準1級を取得しておくなど、備えを万全にしておくことをおすすめします。

 最後に、前任の校長先生と「蕨高校とは要するに何なのか」ということについて話し合いました。共通したのは、蕨高校は「努力してトップをねらう」高校だということでした。令和4年度が始まります。トップをねらっていきましょう。以上で終わります。